推しがいるという事
2018年4月15日、妹が声を上げて泣いた。30歳を目前の妹が泣いた。久々に聞いた妹を前に何も言えなかった。
ジャニーズが大嫌いだった妹を、eighterにしたのは私だ。そして、気づいたら私はeighterを卒業し東方神起を追いかけていた。こんな気持ちを味あわせる未来があるなら…関ジャニ∞を好きにさせるんじゃなかった。フッと泣きわめく妹を前に思ってしまった。
関ジャニ∞の未来ある選択とは違えど、こちら(東方神起)も分裂やら奴隷契約やら色々問題を越えてきた身として、妹の涙と苦しさは身につまされる思いだった。
それでも、真っ直ぐ前を向いて会見するすばる君を。苦しいのにすばる君の背中を押そうともがいているメンバーを見たら、もう何も言えなかった。
そして何より、すばる君の気持ちが痛いほど分かる気がした。私は今31だ。結婚もしていなければ、もちろん子供もいない。そして、生きるために好きでも何でもない仕事をして、アイドルを追いかけている(環境や生き様はすばる君には到底及ばないけど)。人生迷いに迷って、何もできていない。そんな才能もなにもない私でさえ、1つステージを上げる何かがないか毎日探している。残り少ない人生を思うと苦しい。すごく苦しいのだ。それは、20代の時と比べ物にならない苦しさと怖さだ。
私と生きるステージが違うすばる君だからこそ、きっと「もっともっと」ともがいて苦しんでいたんだなと思うと「大丈夫だよ。頑張れ。」としか思えなかった。それが、あなたより2年多く生きているお姉ちゃんの気持ちだよ!なんて、妹に言えなかった。
そして何より、私は知ってしまったのだ。
「生きているだけでいいじゃん!」
という気持ちを。2017年12月、東方神起の弟分でもあるSHINeeのメンバーが突然この世を去った。
キラキラと光り輝く中に、深い深い暗闇を抱えて生きていたことを知る。もう、歌声も聞かなければ5人でいる姿も2度と見れない。それが、どんなに辛くて取り戻せない時間なのかを知ってしまった。
彼がこの世を去った数日後、推しのライブに行った。今までで1番良い席だった。推しの今まで見たことない顔を近くで見た。代わりにワンワン泣くことしか私には出来なかった。それでも、途中から吹っ切れたかのようにプロフェッショナルな姿を見せてくれる彼らを前に「あー強いなー」と思った。
おこがましくも、彼らをそうさせる?そうさせた?のはファンである私たちなんだよな…と思うと「辛いな」と「良かったな」と言う気持ちが同居した。
少なくとも、私たちの存在が彼らを強くさせた。強くさせてしまったのだ。
ファンとアイドルなんて、一生交わることのない平行線で、いつも私達が追いかけることしか出来なくて焦燥感を感じることも結構ある。
CDやDVDを買ったり、投資するしか私達には無いと思うと虚しくなることも正直ある。
どんなに応援したくても、せいぜいライブに行って大声で応援するしか、私にはそれしか無いのだ。
それが、あの日のライブに行って報われた気がした。私たちの存在が彼らの力になって、強くして前を向かせてあげられたかも?と思えたのだ。嬉しかった。
そうなんだよ妹よ。好きなら応援し続けてあげて。6人がどうなるか見てあげようよ!とも、言えなかった。
ただただ、悲しいよね。悲しいよね。
そう言う言葉をかけるしか私にはできなかった。
推しがいると言う事は、とても幸せだ。辛かったり、生きにくかったり、手放してしまいたくなる時に、私を知らない彼等から元気どころか「生きなくちゃ。せめててあの日(ライブ)まで生きなくちゃ。」と留まらせてくれる。
推しが楽しそうだったり、幸せそうだったり、一生懸命な時、私も幸せに満ちる。結構簡単。少なくとも私はそうだ。
だけど時々、こうやって何かが起きると、ドン底に落ちて再起不能にさせられる。
そして、アイドル=偶像でなく、誰かの人生がそこにあり、私たちはただその人を応援しているだけだと知る。意外と辛かったりする。
総じて何を言いたいのか、よく分からないかなってしまったけれど…案外2人になった東方神起は良いものなんだよ。妹よ。
6人でリスタートする関ジャニ∞に、ただ希望しか私にはない。また光り輝く階段を登って行けるのを見れるなんて最高で最強なんだよ。
妹よ。たくさん泣いてたくさん思って前を向こう。
姉はひっそりと応援している。